2007年5月30日水曜日

フリーターやニート逸失利益の算定基礎

 フリーターとかニートの存在が話題となっている。産業構造の変化は雇用関係にも影響して、正規採用を抑えながら非正社員の相対的増員で賄おうとする傾向が強い。固定化し、年々負担増となる人件費を減らそうとする企業論理が、そこにある。

 フリーターやニートといえども交通事故に遭わないとの保証はない。いつ、どこで、どんな事故に遭うか分からない。もし事故に遭った場合、その逸失 利益はどのように算定されるか。フリーターやニートといっても、勤労意欲はあっても働く職場に恵まれない人、勤労意欲に欠けて働こうとしない人など、その 中身は様々だ。

 一般に、不法行為(交通事故など)による人の死亡について、損害賠償額の算定は逸失利益(生存していたら得たであろう利益)を中心として考えられ る。死亡した人の平均的稼働期間、収入額や生活費を算出要素として計算されるので、年齢や職種、勤続年数などで差が生じて算定額は様々である。

 フリーターやニートの場合、死亡当時の収入が平均的生活費を下回っているケースもあり、逸失利益の算式が一定の定型にはまらず、算定が難しい側面 がある。だからといって逸失利益がないとは即断できない。彼らの逸失利益を否定すれば、個人として存在する尊厳性を否定することにもなりかねない。その点 を配慮して何らかの形で認めようとする社会的機運が高まっている。

 死亡当時、たまたま収入が必要とされる生活費を下回っていたかも知れないが、それは一時的な事情かも知れない。現在、フリーターやニートについて の詳細な公的データはなく、ましてや稼働能力回復の可能性などについては未知数といえる状況にある。だからといって、現に収入がないというだけで逸失利益 の算定ができないのは、整合性を欠くことになる。

 人的損害を算出する際に、人格を経済的存在として評価し、賠償する建前を採用しているが、1つの生命体としての絶対価値的存在である点に注目しなければならない。最近は、すべての賠償を定型化しようとする傾向にあるが、定型外だからと賠償が無視されてはならない。

 Y会社の従業員Zは会社所有のトラックを運転して帰る途中、酒に酔って歩いていたAを跳ねて死亡させた。Aは身体的理由から不規則な就労しかでき ず、これを苦にして酒に溺れ、事故当日も酒酔い状態だった。この事故でAを失った両親はY会社とZに対し、損害賠償と慰謝料の支払いを求めて提訴した。

 1審、2審とも、Aの両親が主張する「働く能力を絶対的に喪失していない」点を認めず、両親の逸失利益請求を退ける判決を下した。

 最高裁の第3小法廷も、原審で示された事実関係に理解を見せながらも、「得べかりし利益の存在ないし金額は認定できない、とした原審の判断は是認できる」として上告を棄却した。

 この判決に、世間の論議が沸騰した。「働く能力を喪失していた」という偶然の理由で、加害者の賠償責任が軽減されることは納得できない、とする意 見が高まったからだ。無収入の幼児や主婦らの逸失利益を認めながら、一時的に「働いていなかった」だけで、損害自体を否定するのは社会正義に反し、整合性 がない、と排除するのは理不尽だというのが大方の意見である。

 救済措置として、慰謝料に逸失利益分を補完して算出する考えもあったが、最高裁の判断には法理論の忠実な解釈に固執する余り、社会常識に反する結論が出された感じがする。それが世論を沸騰させた原因といえる。

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