福山市鋼管町のJFEスチール西日本製鉄所福山地区。阪神甲子園球場の約360倍の敷地に、社員ら約1万5千人が働く。北京五輪や上海万博を控えた中国向けの鋼材需要の高まりもあって、活気にあふれている。(松尾俊二)
「ご安全に!」――。工場や事務所で、ヘルメットに作業着姿の人たちが会うたびにVサインをしてこう声を掛け合っていた。「おはようございます」や「お疲れさまでした」ではなく、「ご安全に!」。新鮮な響きだった。
これは鉄鋼メーカーで古くから受け継がれているあいさつだという。事故がなく、無事に帰宅できるようにとの願いが込められている。
福山地区の用地は1420万平方メートル。その歴史は、日本鋼管の福山製鉄所が発足した1965年にさかのぼる。その後、川崎製鉄と経営統合し、JFEスチール西日本製鉄所として新たにスタートしたのは03年4月のことだ。
08年度までに全社で3千万トンの粗鋼生産を目標にしている。その中でも大きな役割を担っている福山地区は1150万トンの生産を担う。
地域の人たちは、親しみを込めて「鋼管さん」と呼ぶ。操業開始以来、地域密着の取り組みを続けていることも大きな理由の一つだ。
例えば――。今年で40回目を迎える福山ばら祭のPRに、サッポロビールの協力を得て記念の缶ビール(350ミリ)を3月に発売した。福 山地区で生産したラミネート鋼板を使い、バラのまちの知名度アップに貢献するため「福山がぼっけえすき!」と筆書きし、市のシンボルマークであるバラの花 を描いた。
毎年5月には、「JFE西日本フェスタinふくやま」を開催し、製鉄所内を開放している。この催しを含め福山地区には年間1万人以上が見学に訪れている。
今後も「開かれた製鉄所」を目指し、製鉄所の様子を知ってもらうため見学の機会を積極的に設けるという。小学3年生以上が対象で10~90人まで。見学は無料。問い合わせは総務室(084・945・3118)へ。
○第5高炉のまとめ役
製銑部製銑工場の向井定幸さん(48)は福岡市の出身。幼い頃に父親が日本鋼管の関連会社に勤務することになり家族で福山市に移り住ん だ。銑鉄をつくる第5高炉で働く人たちのまとめ役。勤続30年のベテランだが、「ボタン操作一つにも五感を働かさなければならない。経験を積むほど、奥の 深い仕事だと痛感します」。先輩たちから受け継いできた現場での知識や技術を若い世代に伝えることにも力を注いでいる。
○鋼運び細心の注意で
製鋼部第2製鋼工場の佐藤一裕さん(33)はクレーンを運転している。転炉に溶けた銑鉄を入れ、精錬した鋼を次の工程に運ぶまでを担当し ている。荷の重さは数百トンにもなる。見た目にはダイナミックな作業だが、「中身は生ものですから細心の注意が必要です」。92年の入社。04年度から2 年間、兵庫県尼崎市にある産業技術短大で学んだ工業関係の専門知識を若い仲間に伝えるため、定期的に勉強会も開いている。
○ミリ単位の精密な技
「大がかりな仕事かなと思っていたんですが、ミリ単位の精密な品質管理の世界でした」と話すのは、熱延部第2熱延工場の木山啓太さん (25)。岡山県笠岡市の出身で、04年の入社。鋼板を加熱して注文通りの厚さ、幅に延ばす現場で、先輩たちからさまざまな技術を学んでいる。「まだでき ないことばかりですが、早く一人前になりたい」。休日は若い世代で集まって野球やスノーボードなどを楽しんでいるという。
○設備のメンテ任せて
工場で使われている設備、装置などのメンテナンスに当たっている設備部製銑設備室の伊達誠一郎さん(26)は03年入社のJFEスチール の1期生。コークス工場の保全を担当している。機械類を取りかえる時期など難しい判断をしなければならないとあって、「全体に目配りをしながらも細部を見 逃さないように心がけています」。先輩たちが残してくれた過去の工事記録のデータや報告書などからも学んでいる。
○所内発生ガス再利用
エネルギー部エネルギー室の石井博志さん(50)は松山市の出身で、75年の入社。高炉、コークス工場など所内で発生したガスを回収しな がら、エネルギーとして工場に供給する役割を担っている。工場操業に支障が出ないよう安定的な供給を続けるためガスの数量などを監視し、需給調整をしてい る。「単純に数字で判断するだけではなく、操作のタイミングなども重要。ノウハウを若い人たちに伝えるのは難しいですね」
○安全追求「マイスター」