2007年5月1日火曜日

夕張愛する人と再生 市民、再選挙免れ安堵

 街の再生を託されたのは地元出身の元会社社長だった。財政再建団体に転落した北海道夕張市の市長選は、藤倉 肇氏(66)が初当選した。後藤健二市長が財政破綻(はたん)などの責任をとって1期での引退を表明し、候補者が乱立したため混戦模様となった選挙戦。い ずれも有効投票総数の4分の1を獲得できず再選挙となる可能性が指摘されていたこともあり、市民の間には安堵(あんど)が広がった。

  午後11時ごろ、テレビで当選確実が伝えられると、藤倉氏が市内の選挙事務所に姿を見せた。「おめでとう」と支持者に祝福される中、握手攻めに。藤倉氏は 「夕張の人が私を選んでくれたのは今の夕張の痛みを知っているから。痛みを知らないと本当の再建はできない。藤倉を信じてほしい」と“夕張愛”での再生に 自信をみせた。

 藤倉氏は高校まで夕張市で過ごし、日大経済学部(2部)を卒業。タイヤ工場の工員を振り出しに、「十勝ヨコハマタイヤ」と「北海道ヨコハマタイヤ販売」の2社の社長を務めた。

 選挙戦では地元出身や会社経営の実績をアピールし、徹底した情報公開や市民参加のまちづくりなどを訴えた。高校時代の同級生らのネットワークを生かして名前の浸透を図り、連合夕張の支持も得て混戦を制した。

 市の苦境を反映するかのように、ドタバタ模様だった市長選。市選管には25件の書類請求があり、立候補の問い合わせ自体は全国から数十件寄せられた。

  カナダ在住のディスクジョッキー、フリーター、年金生活者…。注目度の高さを示す一方、「小遣い稼ぎ」を公言したり、冷やかしと思われる人物もいたため、 「夕張をおもちゃにする気か」(60代の男性)との憤りの声が上がった。結局、実際に立候補したのは7人。そのうち、夕張に関係していたのは藤倉氏を含め 3人だけだった。

 「再選挙にならなくて本当によかった。たとえ誰に決まろうと、早く新しい市長のもとで出直しを図らなければ。藤倉さんは地元のしがらみにとらわれず、命をかけて仕事をしてほしい」。別の候補者に投票したという50代の女性は、期待を込めて話した。

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